宮城・双林寺
双林寺は、古くから奥州街道の宿場町として発展してきた築館町の南西端にあり、遠くに栗駒山
を望む小高い丘の上に建つ名刹で、〈杉薬師〉の呼び名で親しまれている。
寺伝によると、天平宝宇四年 (760)、女帝であった孝謙天皇の勅願によって開創されたとゆう。
開創当時は天台宗の興福寺と称して隆盛を誇ったが、度重なる兵火により荒廃。
その後,天正十九年 (1591)、伊達公の命により再建されたとき曹洞宗に改宗され、寺名も医王
山双林寺と号して現在に至っている。
01 参道
02 姥杉(うばすぎ)、 双林寺を〈杉薬師〉と呼ぶのも,此の老木に由来している。
03 薬師瑠璃殿、文化三年(1806) に落慶するまで十二年間を要したとゆわれている。
釘は一本も使わず、くさびだけでとめられている。(国重文)
04 薬師瑠璃殿の側面
05 鐘楼
06 古い十二神将像。申年の守護神・摩虎羅大将とみられる。
07 古い仏像
08 古い仏像の数々
09 延命地蔵立像 平安時代作 (重文) 表面が滑らかなのは祭のとき人々が長寿を願って、なでたためであるとゆう。
10 阿弥陀如来立像 青銅製 鎌倉時代作
11 持国天立像 (平安時代・国重文) 口腔内の奥深くまで精密に彫られている。
12 持国天像脚部とユ−モラスな姿の邪鬼。
13 増長天立像 持国天像とともに邪鬼まで一本の一木を用いた造法で彫られており、運慶作と云われている。(国重文)
14 増長天像の下の邪鬼。
15 双林寺の本尊・木造薬師如来坐像 (平安時代作・国重文) 千年以上にわたり当地方の信仰仏で、東北地方に現存する最も古い木造仏のひとつ。美しい衣文、温和な表情、均整のとれた優美な姿のこの像は伝教大師作と伝えられる。
02 姥杉(うばすぎ)、 双林寺を〈杉薬師〉と呼ぶのも,此の老木に由来している。
03 薬師瑠璃殿、文化三年(1806) に落慶するまで十二年間を要したとゆわれている。
釘は一本も使わず、くさびだけでとめられている。(国重文)
04 薬師瑠璃殿の側面
05 鐘楼
06 古い十二神将像。申年の守護神・摩虎羅大将とみられる。
07 古い仏像
08 古い仏像の数々
09 延命地蔵立像 平安時代作 (重文) 表面が滑らかなのは祭のとき人々が長寿を願って、なでたためであるとゆう。
10 阿弥陀如来立像 青銅製 鎌倉時代作
11 持国天立像 (平安時代・国重文) 口腔内の奥深くまで精密に彫られている。
12 持国天像脚部とユ−モラスな姿の邪鬼。
13 増長天立像 持国天像とともに邪鬼まで一本の一木を用いた造法で彫られており、運慶作と云われている。(国重文)
14 増長天像の下の邪鬼。
15 双林寺の本尊・木造薬師如来坐像 (平安時代作・国重文) 千年以上にわたり当地方の信仰仏で、東北地方に現存する最も古い木造仏のひとつ。美しい衣文、温和な表情、均整のとれた優美な姿のこの像は伝教大師作と伝えられる。
双林寺 宮城県栗原郡築館町薬師台1-1