棚澤幸夫の精神世界の旅と鎌倉百景

高麗山 聖天院 勝楽寺を訊ねて

聖天院は、国難を避け朝鮮半島より渡来して高麗地方発展に尽くした高麗王 若光(こまおう じゃっこう)の菩提を弔うために、若光に従っていた僧の勝楽が霊亀二年(716年)に建立しようとした。しかし完成を見ずに天平宝字三年に勝楽は遷化(せんげ)。その意思を受け継いだ若光の三男・聖雲と孫の弘仁が若光の守護仏である聖天像(歓喜天)を本尊として一寺を建立したと云われる。その後、法相宗から真言宗に改められ大正八年(1580年)には本尊が不動明王となった。



山門二景。重厚な雰囲気の山門に桜がよく似合う。
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入母屋造り、総欅の木造二層。天保三年の銘が刻まれている
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山門は浅草寺の雷門を模して立てられたものと云われ、獅子の彫刻など見事な建造物である。聖天院近くには、高麗川の清流がながれ、シーズンには百万本のマンジュシャゲが咲き誇る巾着田などがあり見どころ豊富だ
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山門全景
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山門の向って右手に勇ましい姿の風神、左手には雷神の像が祀られる
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高麗王廟
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その特異な墓の墓石
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境内を見守る高麗王像
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本堂へ続く石段の端にある可愛らしい地蔵尊
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趣のある阿弥陀堂は五間4尺四方の平屋で、宝永年間(1704〜11年)に建てられたもの
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阿弥陀堂内部に祀られる阿弥陀三尊像
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寺のいちばん奥の山際に、在日漢民族無縁仏の慰霊塔が立つ。不幸なな歴史の中で亡くなった多くの無縁の同胞と、古代に渡来した高句麗の同胞を共に供養しようと平成十二年に建立された。塔は16メートル。左の休息所はソウルのパコダ公園の八角亭(独立運動発祥の地)を縮小して建てられたという
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平成十二年に落慶した本堂は圧倒される大きさ。京都の神護寺を模して建てられた
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本堂前に咲く枝垂れ桜は、福島三春の滝桜(日本五大名桜)の幼樹
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本堂内部。本尊不動明王像が祀られている
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本堂前の大きな線香台を護る獅子
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室町時代の古い木造不動明王像
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勢至菩薩立像
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観音菩薩立像 聖天院は武蔵野三十三観音霊場第十六番札所である
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千手観音立像 作者不詳、年代不詳だがすばらしい像だ。聖天院は数々の尊像を祀る
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本尊不動明王坐像 天正八年(1580年)、鎌倉仏師大蔵法眼作。胎内には弘法大師作と伝えられる二寸五分の不動明王像が納められている。寺伝には、弘法大師が東国巡礼の折り、錫をとめられ、不動尊、十一面観音二体の彫像を遺されたと記されている
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県指定文化財 聖天院応仁の鰐口
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本堂内にはこの大日如来像、別壇に高麗聖天として信仰を集める歓喜尊(秘仏)などが祀られている
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愛染明王像(室町時代)
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達磨像 作者の狩野元信は室町から戦国時代にかけて活躍した狩野派の絵師
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阿弥陀如来像(鎌倉時代)
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銅鐘 鎌倉時代の名工・物部季重作で、国の重要文化財
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法要に向う聖天院の住職
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法要
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高麗家住宅 国指定重要文化財。高麗家は若光の子孫で、代々高麗神社の神職を務めてきた。江戸時代初期(慶長年間)の民家建築を今に伝える貴重な建造物だ。
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高麗家住宅内観
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自然豊かな高麗の郷が眼下に広がる本堂裏山からの眺め。南に富士や丹沢、西に奥多摩、奥秩父が連なる
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