曹洞宗 龍穏寺
埼玉県越生の名刹 龍穏寺を訪ねる
龍穏寺は、1200年ほど前、修験道の修行の場所として開かれた。室町時代になって六代将軍・足利義教が、鎌倉時代以後関東における敵味方両方の戦死者の霊を弔うため、上杉持朝(川越城主)と児玉党越生氏出身の無極禅師に命じ、開山された。しかし、うち続く戦乱のため荒れ果てる。第三世泰叟禅師の頃、大田道真・道灌父子によって文明4年(1472)再建された。
天正18年(1590)には、豊臣秀吉から百石の御朱印(寺領山林 約200町歩)をうけ、次いで慶長17年(1612)には、徳川家康より、曹洞宗関東三大寺の筆頭を命じられ七堂伽藍が立ち並ぶ禅の道場であったという。
龍穏寺は春の桜、初夏の新緑、秋の紅葉が美しい山寺です。 東武越生線、JR八高線「越生」駅から黒山行きバス「上大満」下車。徒歩30分。有名な越生の梅林や黒山三滝など近隣には見所が多い。
杉林のなか、総門から石畳の参道を上がると仁王門が建っている。天保14年(1843)建立で、その重厚な雰囲気はかっての大伽藍を想像させてくれる。
02 大きな魚鼓(ぎょく)
修行僧に食事の時間を叩いて知らせるため天井からつるされている。龍穏寺が禅の道場であったのが理解される仏具だ。中国で魚は四六時中目を閉ざさないことから、怠惰や居眠りを戒める ために魚の形の鳴りものを考えて作ったものだという。
03 古い観音菩薩石像
龍穏寺は秩父への峠道にあることから、観音巡礼に向かう人々の安全を願って作られたと伝えられる。
04 文殊菩薩像
室町時代作、特に菩薩が乗る獅子像の彫刻が見事です。
05 不動明王像
木造 鎌倉時代作、体長は1メートルぐらいの像ですが細部の彫りが素晴らしい。
06 聖徳太子像
和をもって尊しとなす。家庭円満、繁栄を招き心の支えとなる真摯な姿。此処の寺の太子像は、 顔の形がやや面長で変わった感じの尊像です。
07 聖観音像
江戸時代の作、2度にわって盗難に逢ったが、オークションで売却寸前に発見されたという。
08 修行僧の墓
修行半ばで亡くなった修行僧の墓が並ぶ。
09 本堂前の池
この池で水をかぶって修行したと云う。龍穏寺は、かって関東の曹洞宗の第一の道場であった、「小永平寺」「天下の鬼道場」とも呼ばれ、厳しい修行の寺であったらしい。
10 経蔵
寺の境内に建つ経蔵は貴重な建物で(埼玉県指定文化財)。外壁には、江戸末期の名工・岸亦八(きしまたはち)の手による彫りものがあります。曹洞宗の祖である道元禅師が中国天童山の如浄禅師のもとを発って日本へ帰国する際の禅師の様子が彫られたもので拝観する人々を感動させます。
11 道元が中国て修行を終えて帰国の道中
12 経蔵の扉の彫刻
名工・岸亦八の緻密な彫刻です。
13 経蔵内部の壁画
酒井抱一、天女の絵。酒井抱一は、浮世絵師としても名高い。
14 経蔵内部の像
経蔵内部には一切経を納める輪蔵(回転式の書架)と輪蔵の創設者といわれる傳大子(ふだいし)坐像と脇侍の童子立像が安置されている。
15 経蔵内部と天井の絵
16 昔の地図
曹洞宗関東三大寺の筆頭を命じられた頃の七堂伽藍が建ち並ぶ時期の地図。
17 仁王門の彫刻
仁王門軒下左右の立派な獅子の彫刻。
18 仁王門の彫刻
19 総門
秩父へと通じる峠道の傍に沿って建ち、龍穏寺へ入る第一番目の門です。
20 仁王門の裏側
仁王門近くの経蔵の裏には南天の群生があり、実の赤くなる季節には見事です。
21 住職の作務
秋。紅葉する樹木の下、作務にはげまれる芹沢聡海住職。
22 県文化財の銅鐘
鐘を掛けるための龍頭が独特な造りになっている。
23 聖観音立像
石造りの観音像、お顔がすごく温和な風貌の像です。
24 毘沙門天像
龍穏寺は、「武蔵越生七福神めぐり」の毘沙門天の霊場でもある。
25 大田道灌 親子の墓
大田道灌親子の墓が、本堂左手の階段上にある。大田道灌は、江戸城を築き川越城・岩槻城・鉢形城を修築した関東武士として知られている。
26 大田道灌の像
本堂の前にあります。
27 下馬門
格式の高い寺であったので、誰でもここで、馬や駕籠を降りて、1キロ半歩いて参拝した。
曹洞宗 龍穏寺 埼玉県入間郡越生町龍ヶ谷452-1